菅山かおる ビーチバレーへ

2009/2/28 土曜日 – 6:57:11

元バレーボール日本女子代表で、「かおる姫」の愛称で人気を集めた菅山かおる(30)がビーチバレーに転向することがわかった。
昨年末から練習を始めており、今後ペアを組む選手を探して12年ロンドンオリンピックを目指すという。朝日新聞朝刊より

自分史を書くときに多ければ多いほど心強いものは持ちネタ(題材)です。
読んでおもしろい、チョイ上の自分史を作成しようと思ったら、持ちネタはため込んでおくに限るのです。
ここでは、自分史作成時のネタ集めの一例として、ニュースを元に思い返す出来事を書いていきます。
ああ、こんな感じなら私でもネタを集められる、この話なら自分にも思い出すことがある、などのように皆様のネタ集め(自分史作成準備作業)に参考になればと思います。

バレーボールといえば、

中学2年生のとき、体育の先生が異動してこられた。バレー部の顧問になるのだという。
案の定、体育のバレーが厳しかった。

それまでの体育の先生は、バレーには興味がなかったようで、遊び感覚でよかった。
つまり昭和30年代の会社員がお昼休みにビルの屋上で、バレーボールで遊ぶような、
そんなことをぼくらの中学校の体育の時間にやっていたのだが。

吉田先生はまったく違っていた。
一列に並んでレシーブをするのだ。まるでバレー部の練習のようだ。
腕は赤く腫れ上がる!

アタックも強く打たないと怒られる。
しかし、べちゃっと打つと手が痛いのだ。それでグーで打つともっと怒られる。

二人組でトスの練習をしていると、突き指をしてしまった。
(ピンチはチャンス)とぼくは先生のもとへ走った。

「先生、突き指をしたのでバレーができません。ちょっと休みます」
「うるさい、突き指なんかほっとけば治る! 戻って練習せい」と全然取り合ってくれない。

「あーそうですか、じゃあいいです」と指を引っ張ることもせず、そのままにしておいた。
もちろん、トスの練習は常に失敗したふりをして休んでいたけど。

そのため、ぼくの左手の薬指は、今でも少し曲がっている。
(短気は損気)はぼくの座右の銘になった。

チョイ上の自分史わたし本なら文研ビズ

Post a Comment